ローヤルゼリーの歴史。人間とミツバチの関係は、紀元前6000年まで遡る。

ミツバチが作っているローヤルゼリーは健康食品として多くの人に親しまれていますが、その歴史はとても古く、紀元前まで遡ります。エジプト文明では、ピラミッドの壁画に養蜂の様子が描かれており、人間とミツバチは長年に渡って関わっていたことが分かります。ミツバチが作っているローヤルゼリーは、どのような歴史を経て世界中に広がっていったのでしょうか。ここではローヤルゼリーと人間の歴史についてご紹介します。

人間とミツバチは紀元前から関わっていた

ローヤルゼリーの歴史は、紀元前6000年にまで遡ります。
スペイン東部のラ・アラーニャ洞窟の壁画には、当時の人間が壷を片手に蜂蜜を採る姿が描かれています。また、紀元前3000年頃に発明されたメソポタミア文明の楔形(くさびがた)文字には、蜂蜜に関する記述が残されています。その他にも、紀元前3000年から30年頃のエジプト文明の壁画には、人が蜂を買い、燻煙機(くんえんき)で蜂を眠らせて蜂蜜を採取している様子が描かれています。

世界三大美女のクレオパトラは、美貌を維持するためにローヤルゼリーを摂っていたと言い伝えられています。エジプト文明の壁画に描かれている絵の記録などから、この言い伝えが本当の可能性は高いと考えられています。

古代ローマ時代から知られていたローヤルゼリー

ローヤルゼリーが初めて文献に登場するのは、紀元前4世紀です。
古代ギリシャの哲学者だったアリストテレスは、『動物誌』という著書の中で「蜂蜜に似ている濃厚で淡黄色をした柔らかいもの」という記述を残しています。これがローヤルゼリーを指しているかは確かではありませんが、文章の内容からローヤルゼリーの可能性は非常に高いと考えられています。

しかしアリストテレスは、ローヤルゼリーと女王蜂の関係性は正確に把握できなかったようです。アリストテレスは、女王蜂は他の蜂と同じように卵から産まれるのではなく、ローヤルゼリーそのものから生まれると考えていました。ローヤルゼリーを食べる幼虫の体長は約1ミリと非常に小さく、当時は顕微鏡がなかったことから、ローヤルゼリーに紛れた幼虫を見付けるのが難しかったのかもしれません。

ローマ法王を救ったことで、世界に広がった

ローヤルゼリーが製品として社会的に認知されるようになった出来事は、20世紀に入ってから起きます。1952年にはフランスでローヤルゼリーが販売され、各地の病院で薬品として使われるようになりました。

ローヤルゼリーの評判が広がっていく中で、1954年に当時80歳だったローマ法王のピオ12世が倒れて危篤状態に陥ります。医師がフランスのローヤルゼリー製品をピオ12世に処方し続けたところ、奇跡的な回復を遂げたのです。

この出来事は世界的なニュースになっただけではなく、1955年の国際学会でも発表されました。さらに1958年に開催された『世界養蜂家会議』では、ピオ12世が自ら出席し、ローヤルゼリーをたたえる演説を行いました。この出来事によってローヤルゼリーが世界中に認知され、日本にも普及するきっかけになりました。

日本とローヤルゼリーの歴史

日本とローヤルゼリーの歴史が始まったのは、1889年(明治22年)にさかのぼります。当時の農学博士だった玉利喜造は『養蜂改良説』という著書の中で、ローヤルゼリーについて「王家の舐物」という記述を残しています。

日本では7世紀頃から文献上で養蜂の記述が残され、1957年にローヤルゼリーの量産技術が開発されました。
日本国内でローヤルゼリーの生産・販売体制が整ってきた頃にローマ法王の演説があり、1959年には週刊誌で「不老長寿の新薬現る?」というタイトルの記事が掲載されたことで、ローヤルゼリーの認知度が一気に高まっていきました。

まとめ

日本とミツバチの歴史は古く、その歴史は紀元前6000年まで遡ります。ローヤルゼリーが文献に初めて登場したのは、紀元前4世紀のことです。ローヤルゼリーが製品として社会的に認知されるようになったのは20世紀に入ってからで、1953年に当時のローマ法王の命を救った出来事がきっかけでした。日本国内では1950年代にローヤルゼリーの生産・販売体制が構築されていきました。ローヤルゼリーは長い歴史を経て、世界中の人の健康に役立つものとして利用されています。

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